身近な方々に聞いた体験談

私の体験を含め、身近な方々に介護の体験談を伺いました。「取りくんでよかったこと」「やってよかったこと」などは個人の感じ方です。家族関係や環境はそれぞれ 異なり、みなさまのご家族に合う介護方法があろうか と思いますので個人の感想としてご参考としてご覧ください。

体験談

岡田マリのケース
自分の経験です。母親が自宅で突然死、親から引き継ぎ を何もしていなかったがための苦労、要支援の父との生活、有料老人ホーム探しなど、1年前の今ごろは想像す らできなかったことが突然バタバタと起こりました。

母:84歳(享年)要支援1 バイオリンが生きがい 2018年2月に自宅で突然死 週に1回ヘルパーさんに自宅に来てもらっていました
父:86歳 要支援1 仕事が生きがい リハビリデイサービスに週1回


 母が実家で突然亡くなる。その日から現場検証で数日間実家に入れず。父と犬 が我が家に来て生活が始まる。
 杖が手放せない父の恵比寿の暮らしで気づいた、街を歩く人の速さ、お店やコ ンビニの段差や階段、初めて親の紙パンツを購入する時の何とも複雑な感情(でもその後は掃除や洗濯がグンと楽になり紙パンツは手放せなくなる)。また犬の世 話など生活も一転。
 「自宅で突然亡くなるとその後が大変」と聞くが、まるでテレビのサスペンスド ラマのように警察の聴取を家族全員が何度も受け、死亡に関する膨大な事務手続 きに追われ、母の死を悲しむどころではありません。
 そんな中、狭い家で父との共同生活は限界となりました。しかし父は要支援の体で、公共の特養には入れないので、週末は有料老人ホーム等の見学を一緒に重ねました。そして母が他界して約1カ月半後、今度は父が移動途中に転倒。入院して輸血を受けるほど弱っていた父は、仕事を引退することを決意。

 8カ所の高齢者施設を見学、東京から新幹線で1時間のその施設には父の知人が 勤務していた縁もあり即決し、入居しました。
 今は自然豊かなその地で職員のみなさんにお世話になりながら、趣味、食事療法、リハビリ、近くの温泉の利用などにより、とても元気になりました。


取り組んでおいてよかったこと

  • 実家で担当の地域包括支援センターのケアマネジャーさんとのやりとり。母の 他界後も父のことで大変お世話になる。
  • 実家に来ていたヘルパーさんと連絡先を交換。母の様子を知ることができた。
  • 有料老人ホームの見学をコーディネートしてくれた事業者さん。足の不自由な 父と一緒に一日に数カ所の見学がスムーズにでき、参考になりました。
  • 町会のみなさんの口コミ情報。車椅子を民生さんからレンタル。おかげで父と 一緒にお花見や食事などの外出時に助かりました(きちんと返却は必須!)。
  • 車椅子で移動できる介護タクシー。運転手さんが車椅子のサポートに慣れてい て、安心して乗ることができました。
  • 生前、信託銀行に遺言信託の手続きをしてくれていたこと。残された家族間で スムーズに事が進みました。遺言については行政書士や司法書士さんなどにも 相談できます。

やっておけばよかったこと

  • 早い時期からのケアマネさんやかかりつけ医、かかっている病院や先生とのコンタクト。母や父の様子をもっと前から聞いておけば、と後悔しています。親は子どもに心配をかけまいと直接伝えませんが、親は確実に年をとっており、 いろいろな問題があったようです。
  • 両親の銀行などの情報について。父はお金のことはすべて母任せだったため、 銀行の口座番号、銀行届出印などが全くわからず苦労しました。父と一緒に銀 行を訪れるも、銀行によっては階段、段差、トイレもバリアだらけで半日がかり。父が窓口の人とスムーズに会話できたのは幸いでしたが、もし認知症で会話が成り立たなかったら定期預金の解約もできなかったかと思います。
  • 葬儀の連絡を誰にするのかわからなかった。
  • 母にもっと感謝を伝えるとともに、手作りの料理をもっとたくさん食べておけ ばよかった!

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えみさんのケース
お父さまががんと診断されてから生活は一転。移動は杖 から車椅子に、自宅のリフォームやデイサービスなど介護保険を組み合わせて利用しながらの在宅介護、地域のみなさまとのかかわり、介護者であるお母さまをいたわることも目的としたご家族のサポートなどの経験をお話しいただきました。

父:79歳 自営業 地域活動にも尽力
母:75歳 父の仕事を支え、地域活動にもかかわる主婦。今は父の介護に従事


父が2018年1月に肝臓がんと診断される。2~3月は抗がん剤投与のための入院。 長い入院期間で筋力低下。食も細くなり、母は父に食べさせることに苦労し、母自身が参ってしまいました。
病気も介護も初めての中、手探りではありますがと にかく母を一人にはしておけない!と思いました。母には父に無理に食べさせようと思わず、食事時間もあまりこだわらず、時にはお惣菜を買ってもよいとアド バイスしました。
 トイレの問題も退院後徐々に始まり、父の紙おむつを初めて買った時は涙が出そうになったけど泣いている場合ではないと奮起。
 介護認定が下りてからは、介護保険を利用しバリアフリーにリフォーム。
 思い入れのある自宅は3階にあり階段を使用しますが、足元がおぼつかない階段は危険なため、誰かが付き添いながらの移動になりました。
 またデイサービスを見学に行き、通うことに前向きになりました。
 退院後は杖をついて外出もしていましたが、だんだん難しくなり、車椅子使用 になりました。
 実家周辺は坂が多く、車椅子での外出はとても大変。子育て中にベビーカーを押していたころも不便でしたが、車椅子はベビーカーの5倍以上の重さがあり、路地を通る際の段差、横断歩道に下りる際のわずかな傾斜も怖いです。車椅子は後ろ向きに引くこともあることも知りました。
 ただ、車椅子の散歩は、町会に知り合いの多い父にはとてもいい刺激です。何人もの知り合いに会って挨拶を交わす、こんな笑顔のコミュニケーションをたくさんとっていきたいです。


取り組んでおいてよかったこと

  • 居宅介護支援事業所のケアマネさんがいつも親身になり話を聞いてくれます。
  • 主人が介護の仕事をしているため、介護の手続きを進めてくれ助かりました。
  • 父が通う施設では以前から母がボランティアをしていたので、そこで働く人た ちとも顔見知りで、すぐに慣れることができました。
    • 将来、自分やパートナーが介護をされる日がくるかもしれないので、今からそうした施設の行事などに参加してみるのもお勧めです。
  • 区の社会福祉協議会の紙おむつ助成制度を利用、電話で注文すると自宅に配達 してくれて助かっています。
    • 紙おむつ助成制度:月額3,500円で商品価格17,500円分の紙おむつを購入するこ とができます。渋谷区社会福祉協議会と渋谷区が助成しています。
      対象:渋谷 区に住民票があり、生活保護を受給していない方で次のいずれかに該当する方、
      65歳以上で要介護1以上の方
      3歳以上で身体障害者手帳、愛の手帳、精神 障害者保健手帳を有する方。
      事前に渋谷区社会福祉協議会に登録が必要。
      渋谷区内は無料配送。
      お問合せ:渋谷区社会福祉協議会地域福祉課
       TEL:03-5457-2200

困ったこと

  • をかけまいとせっかく車椅子を利用しても外には段差がたくさんあって移動が大変。

心がけたこと

  • 24時間ずっと父の介護をしている母が心配なので、できることは自分が代わっ たり実家に行って手伝うなど、母が少しでも気分転換したり休むことができる ようにしています。

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じょに太郎さんのケース
お母さまがレビー小体型認知症に。介護認定を初めて受け要介護3の判定を受ける。その時までお父さまが一人でお母さまを在宅介護。現状を知り限界を感じた息子が自宅兼仕事場を実家の近くに移し、両親のサポートを行う日々。

母:77歳 要介護5 町内ではちょっとした世話焼きおばさんで有名だった 週2回のデイサービス、1回のリハビリマッサージ 月1回のショートステイ、月2回の訪問診療
父:77歳 自営業 現在も仕事を続けているが、母親の介護が生きがい


 母親が70歳を過ぎたころ、もの忘れが激しく、それまでやっていた自治体の役 に支障が出始めたため、すべての役を父親が辞めさせました。
するとそのころから被害妄想と幻視が激しくなったので、病院で精密検査を受けさせました。結果はレビー小体型認知症と診断されました。
しばらくは父親が仕事を続けながら、母親の面倒を看ていましたが、診断を受けてから3年がたち、父親を含めた身内の認識もできないことが増えたり、パーキンソンの症状で歩行も困難になり、父親からSOSが来たため僕は都心を離れて実家の近くに転居し、買い物や料理、デイサービスの送り迎え等の父親の手伝いをしている現在です。


ダメだったこと

  • 僕が転居するまで介護認定を受けていなかったこと。診断を受けてから3年も放置していたため、いきなり要介護3の評価を受けました。では何故、介護認定を受けず、介護サービスを利用しなかったのか。それは町内でちょっとした有名人であったため、認知症であることを周りの人に知られたくなかったという、父親を含めた両親のプライドでした。
    周りを気にせず、もっと早く介護サービスを利用していれば、進行を遅らせることができたのではと思っています。
  • リハビリをさぼった。要介護3の評価になり、すぐに急性腸炎で救急病院に3週間ほど入院し、その後リハビリ施設のある病院に3週間入院しました。その病院で、リハビリ担当者との折り合いが悪くリハビリをさぼったため、寝たきりに なってしまい退院してから要介護5の評価になってしまいました。救急病院に入院しているときまではゆっくりならば歩いてトイレに行けていただけに、無理やりにでもリハビリをさせていればと思うと非常に残念です。
  • これを言っちゃぁおしまいなのですが、父親が母親離れできないため、介護が生きがいになってしまいました。老老介護には限界があり、ことあるごとに助けを求められるため、少なからずとも僕の仕事を含めた生活に支障をきたし始めています。そういうこともあって、母親をぜひとも特別養護老人ホーム等に入れていただき、父親の人生をまっとうしていただきたい。

よかったこと

  • 地域包括支援センターの方が非常に親切で、介護認定からケアマネさんの紹介まで非常にスムーズでした。紹介されたケアマネさんも非常によい方で、そこで 構成されているチーム(ヘルパーさんや理学療法士さん等)を信頼しています。

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としえさん(会社員)のケース
実家のお母さまがお父さまを介護するという老老介護のケースです。認知症の検査受診を嫌がるお父さまがやっと受診された時には要介護3の診断。認知症の症状が進む中、在宅介護のご苦労をお話しいただきました。

父:元会社員
母:主婦


父の認知症から亡くなるまで

 父は70歳位まで仕事をしていたが、現役引退後、家での生活になり近所のかかわりが全くない状態のなか、会話がどこかおかしく、また口数が少なくなりました。また75、76歳位まで朝晩散歩に行っていたが、自分でどこに行って良いかわからなくなってきたようでした。
 父の外出時の対応として、外出時は免許証と電話番号の書かれた紙をポケットに入れておきました。なかなか帰宅しない時は事故や熱中症などが心配で、警察に届けたこともありました(徘徊の症状はありませんでした)。
 そんな父の変化を見て検査を受けるようにと言ってもなかなか行こうとせず、家族で話し合い、通っている大学病院の先生に相談したところ、本人に「認知症の検査」とは言わずその大学病院の精神科で検査してもらうことになりました。

医師の診断は、アルツハイマーとうつ病でした

 認知症とわかってからは父の車を処分し、本人は寂しそうでしたが免許証も返納しました。
 母は近所の人に父の状況を話しましたが、父は穏やかであまり余計な事を言わない人だったので、みなさんになかなか信じてもらえずに困りました。特に父の兄弟は信じたくないようでした。
 その後も通院して投薬を受けましたが、徐々に電車に乗ることにも問題がでてきたようだったので、私が仕事を抜けて父の病院の付き添いをしました。また病院の受付などでも認知症の父の行動でやりきれない思いをしたこともあります。
 徐々に持病の薬や認知症の薬を飲むこともままならなくなり、要介護3から要介護5に一気に進行しました。
 トイレのコントロールも難しくなってきたころから、介護している母は本当に苦労をしました。またそのうちに母や子どもたちのこともわからなくなってきました。家での介護だけでなく、デイサービスやショートステイも利用しました。しかしショートステイを利用したものの、施設のドアを壊してしまいそうになるなどの問題を起こしてしまい、施設の泊まりは難しいという判断になりました。
 自宅での介護はどんどん大変になり、介護ベッドをリースするといった対策が必要でした。
介護されている父は感謝ではなく抵抗が多く、認知症の症状で悪気はないのは理解しているものの、母や家族が疲弊しました。
 父は何度か体調を崩したため介護施設に入りましたが、施設に行ってすぐに誤嚥(ごえん)肺炎で病院に転院しました。その病院を3カ月後にいったん出てもらうよう言われたものの、亡くなるまでそこに入院することができました。亡くなるまでこの病院では寝たきりの生活でした。この病院では看護師さんによくしていただき、父はよく話し、楽しい人でした、と教えてくださいました。


一番大変だったこと、感じたこと

  • 下着の取り換えが一番大変でした。本人が嫌がり、抵抗が強かったです。
  • お風呂は家では入れず、デイサービスで入ってもらうようにした(デイサービスでは掃除好きの父にお茶碗を洗ってもらうなどしていたようです。そして「それはだめ」「こんなことをしてはいけない!」と否定をしてはいけないということを学びました)。
  • トイレも苦労しました。母は懸命に世話をしていました。

 週末はなるべく実家に帰るようにしていたのですが、一気に症状が進んだころ、私はなかなか父の行動を理解できず、父につい文句を言ってしまうと、母に「しばらく家に帰って来ないで」と言われました。それは怒った父が暴力を振るうようになっては困るとの気遣いからで、認知症の症状は人さまざまで考えもつかない事が起きるからです(おかげで父は手をあげることは一度もありませんでした)。
 介護をしている母を見て感じたことは、老老介護は本当に大変で「よしやるぞ!」と思っても身体がついていきません。小柄な母は父の世話を続け、足腰を痛めてしまいました。また日常あまり大きな声を出したことがなかった母ですが「声を荒げることが多くなった」とも聞かされました。
 進んだ認知症は良くなることはなく、その後もさらに症状が進むだけで、第三者の助けがなければ家族全員が不幸になるように思います。父は多くの方にたくさん助けていただきました。お金があってもなくても、お世話になる施設が大きい小さい関係なく、やはり人と人との出会いが大切だと思います。

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ゆきさんのケース
会社員、前年分の繰り越し分を含めた有給休暇を利用しながら介護。 ほぼ同時期に実家のご両親がダブル介護となる。お母さまを自宅で看取り、また認知症のお父さまの施設探し、その後は入退院の繰り返し、仕事を続けながらの介護、情報収集は大変だったと思います。お母さまが残された エンディングノートがとても役に立ったそうです。

母:76歳(享年) 要介護5(亡くなる1週間前にいきなり要介護5に)退職小学校長会役員
父:78歳(享年) 要介護5(要介護3⇒要介護1⇒要介護5)


 2015年11月に父がアルコール依存症のため入院、翌月近くの病院で検査を受け た母が、ステージⅢの卵巣がんと診断され、大学病院に入院。
 4回の抗がん剤投与でがんを小さくしてから手術をすることに。母が入退院を繰り返す中、父の退院が決まりました。
父はアルコール依存症による認知症も発症しており、病床の母に父の面倒を見させられないこともあり、「暫定的」に自宅から徒歩3分の介護付き有料老人ホームに病院からそのまま入居させました。
 2016年1月から抗がん剤治療をはじめた母は同年7月4日に手術。オペ室まで見送って30分後に担当医から呼びだされ「がんが広がり過ぎてオペができない」と宣告されました。「手術さえすれば治る」と思っていたので、この時のショックは筆舌しがたいものでした。ショックに浸る間もなく10日後、病院内のソーシャルワーカーさんと面談。 「自宅に帰りたい」という母の希望を伝え、それから介護認定の申請。 7月23日に自宅に戻った母は気丈にふるまっていたものの容体が急変し、息を引き取りました。希望を持って臨んだ手術からわずか27日後のことでした。
 父には最期まで母が亡くなったことは秘密にしました。これは施設のケアマネさんから事実を伝えるとショックでさらに認知症が進む可能性があると言われたため。
 「母さんはまだ入院中か?」と聞かれるたびに胸が痛みましたが、父の友人や親せきにも口裏を合わせてもらって2年間ウソを貫きました。
 父は入居2年後に高熱を出して、大学病院に。腸閉塞と診断され、人工肛門になり、その後父は一切食べることをやめてしまったため、*胃瘻(いろう)を造設。生きていくためには点滴か胃瘻かの2択でしたが、後者の場合であれば元の施設で受け入れ可能だったため胃瘻に。
 このまま病院を転々とするより、精神的にすこしは良いのではないかと考えてのことでした。
施設に戻ってからスタッフの方たちも懸命にリハビリに協力してくださいました。
 3カ月後の2018年7月、誤嚥性肺炎で再入院。約2週間後に亡くなりました。 父は天国に先に母がいてビックリしたかもしれません。
 激動の3年間でしたが、寂しいよりも正直今はホッとした気持ちが強いです。
 両親から最後に教えてもらったのは「老いるということ」。私自身もゆっくりですが終活を始めていこうと思っています。

*胃瘻(いろう)とは:病気やけがのために口から栄養を摂取するのが難しい人のために、胃に穴を開け、直接栄養を送り込む手段。


やってよかったこと

 生前、多くの友人と交流があった両親ですが、両親それぞれの友人と連絡をかなり密にしました。 代表の方に現状を伝えることで、その方が連絡網となり他の友人・知人に情報共有してくださったので、都度、同じ説明を繰り返す手間が省けました。
 入院中に母が作った住所録には、氏名・住所のほかに、関係性まで記載されていたので葬儀の時にすごく役立ちました。
 預貯金のこと、家のメンテナンスの業者名・連絡先・頻度など引き継ぎノート?的なものが今でも助かっています。
またケアマネさんや訪問看護師さん、老人ホームの受付の方たちに相談を積極的にすることで、かなり不安が解消されました。

やっておけばよかったこと

母の場合

もっと早く検査を受けてもらえばよかったです。セカンドオピニオンや他の治療法についてもっと積極的に調査するべきでした。

父の場合

心身共に元気な時に死生観を聞いておくべきでした。手術や胃瘻に関しても、本人ではなく私の判断で行うしかなかったため、これでいいのか、私の独りよがりなのか常に不安でした。

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かおりさんのケース
在宅でご両親を20年以上介護されたかおりさんご夫妻。自宅での看取り、24時間365日介護を担われたかおりさん夫婦のご苦労、ご経験は在宅介護をされている、またもしかしたらされるかもしれないみなさまのヒントになるかと思います

父:要介護5 寝たきり状態 認知症 2008年没 94歳(享年)  介護期間:86歳~94歳(8年)自宅で介護
母:要介護5 寝たきり状態 認知症 2017年没 104歳(享年)  介護期間:83歳~104歳(21年)自宅で介護


 以下は、我が家において行った介護です。初めから下記の介護レベルにあったわけではなく、日々変化する被介護者の状況に適合した介護レベルと考えるものを手探りをし, もがきながらの結果として到達した内容です。
 すべての家庭に適用できる内容ではないと思いますが、部分的にでも参考にして頂だければ幸いです。

 この間8年程度は父母2人の介護(主に自宅にベッドを二つ並べた状態で)を行いました。

取り組んだこと

  • ケアマネ、主治医(定期的な訪問契約を締結)、ヘルパー、家族の連携、信頼関係の構築が重要。
  • 介護方法は、合理的であると同時に適宜、的確な方法を家族が積極的に判断して、実施。
  • 介護は、24時間、365日作業が発生する性質があり、特定の家族がその役割を担うことは介護者となった家族の精神的、肉体的な負担が大きく、結果として介護者自身の健康に大きく悪影響をもたらします。よって経済状況が許す限り、介護は、ヘルパーさん等外部の方にお任せすることが重要。
  • 後半の10年は、主治医(内科)による往診を週1回、皮膚科(褥瘡(じょくそう)等の早期発見、治療:月2回)、特に寝たきり状態になったら歯科医による定期的(我が家では週1のペース)な口腔ケアが重要。
  • 清潔さの維持:訪問入浴(週2回)の利用、毎日肌着の交換等により身の回りを清潔に保つことが重要。
  • 経済的な負担は、被介護者の預金等を使うことが原則。そのためには被介護者自身が早めに資金を普通預金に集めて介護家族が本人の承諾のもと、必要に応じてATMから引き出せるようにしておくことが重要。

困ったこと

 終末期には延命と自然死の判断、最期を看取る事への恐怖の気持ちが交錯。
 介護期間中は、泊まりがけの旅行などには大きな制約がありました。

医師との信頼の原点

 健康管理は、すべてを医師に任せ入院はさせないとの家族としての判断を医師と共有。どんなことがあろうが100%自宅で終末を迎えることを確かな気持ちとして持ち続ける、このことが医師との信頼関係にとってとても重要。

終わりに

 とにかく我が家における20年以上の介護では、家族の心が折れそうになることが何度か生じたことは確かです 介護とは、いつまでという期限がないものなので、はじめから気張らずに、かまえず向かい合うという姿勢でやることを心がけたいと思います。
 家族介護者の負担を軽減するためには、公的支援サービス、特別養護老人ホームや期限付き老人施設等をためらうことなく積極的に活用することを推奨します。

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りかさんのケース
診断を受けてから7年たった今も、「自立」で穏やかに暮らすご夫婦。早い段階でお父さまが自覚をして検査を受け、軽度認知症と診断を受けてからは、ご家族が情報収集、理解を深め、認知症予防に効果のあること、ものを実践。認知症はこわくない!を教えてくれる体験です。

父:80歳 高校の元校長先生で以前はお酒大好き。7年前に軽度認知症と診断さ  れるがすぐに認知症について調べ、サプリメント等も利用し、今でも母と二  人三脚の「自立」生活。母:79歳 話し好き、料理好きの明るい主婦。夫婦二人で実家に住んでいます。


 「軽度認知症と診断されてもすぐに大きな変化はなく、早めの投薬と食事や生活の工夫で長く付き合っていけそうです」

きっかけ

 役所への書類提出忘れに気づき、慌てて役所に行ったらすでにその書類は当人が提出済みで、「提出していたことを忘れていた」という出来事があり、それをきっかけに脳外科に行き、MRIや認知症テストを受けました。
 アルツハイマー型軽度認知症と診断され、本で認知症について調べ、「コウノメソッド」について知り、実践している先生を見つけ、相談しながら薬やサプリメントを飲み始める。家族みんなで認知症がどういうものかを理解して接すること7年、今でも実家で夫婦穏やかに自立した暮らしができています。

父の日常

母の的確な指示のもと、家事全般を手伝い、毎日のウォーキングや地域の仲間と週3回のグラウンドゴルフを楽しみ、穏やかに暮らす。認知症予防に効果のある漢字ドリル、クロスワード、数独パズルも趣味の一部。

母の日常

健康番組を観て、父の健康のため認知症に効果のある食事を作る。*自身は両脚人工股関節、白内障手術などを経験。

やってよかったこと

  • 気になり始めた時に認知症の検査に行き、診断結果を受け入れ、ネットや本で情報収集し、どうしたらよいか、どうなっていくのか調べたこと。 →認知症を知ることによって、今後の見通しが立ち、安心できました。
  • 父の変化に戸惑う母の愚痴を聞き、気分転換に食事や買い物に連れ出すようにしています。
  • 父も母も地域に共通の友人が多く、母は仲良しの友人に、早い段階で父が認知症であることを伝えました。→ 認知症であることをカムアウトすることによって母は気が楽になり、今では人からも相談を受けるようになりました。
  • グラウンドゴルフの仲間に父が軽度認知症であることを伝え、話しかけてもらい、口数が少なくなった父が孤立しないように配慮していただいています。 
  • 病院へは、半年~1年毎に一緒に行き、医師に父の持病の相談や、検査結果をしっかり聞いてその後情報を集めています。→父と母だけで結果を聞いても正確に覚えていないことがあるため、時には子どもが立ち会うようにしています。
  • 持病の薬も投与されているため、医師とよく話し合って、副作用が出ないように認知症の薬やサプリメント(フェルガード=米ぬかエキス、ホスファチジルセリンの成分のもの)を服用しています。
  • 父のためにあれこれ考えて料理をすることが母の認知症予防にもなっています。
  • たまに実家に帰ると、父がおつかいに行き、母が私の好物を作ってくれるので、素直に感謝の気持ちを伝えています。自分が実家に行くことが日常生活のプラスαの刺激になっていると思います。
  • 実家に行くときは両親が喜ぶちょっとした手土産(地域の運動仲間と食べられるようなチョコレート)を持参し、ショッピングモールに買い物に連れ出すなど、外出させて脳に刺激を与えるようにしています。
  • 家では母が父に指示を出し、ゴミ出し、洗濯物を干す、植木の水やり、食後のコーヒーや食器洗いなどの多くの家事を担当し、母は「ありがとう」という感 謝をしっかり伝え、父は役割と感謝されることでプライドが保たれていると思います。
  • 認知症と診断をされたのですぐに車の免許は返納しました。
  • 認知症が進む前に遺言書などを作成しておくことも大切

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